https://vimeo.com/296782215
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20181123/0010002.html
# by pach8 | 2018-11-25 10:30
数年ぶりで市川の東山魁夷記念館へ。
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本を書く人間がいればどこにおいても同じであるが、[…]優れた本を見分けるには、苦心と努力が感じられるか、周到綿密な配慮がなされているか、精神的格闘の跡がはっきり読み取れるか、これに注意しさえすればよい。もしこの答えがイエスであれば、それは常に良い本である。-心理学と錬金術- ユング
想像力という言葉を、よく考えてください。想像力、イマジネーションというのは、空想力、ファンタジーとはまるで違う。
でたらめなことを空想するのが空想力だね。だが、想像力には、必ず理性というものがありますよ。想像力の中には理性も感情も直感もみんな働いている。そういう充実した心の動きを想像力というのだな。

5月の連休は山梨へ行って、勝沼、塩山、甲府へ。
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これは勝沼の大善寺。別名ワイン寺。
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5月の後半は、久々に蓼科へ車で往復。帰りの初狩PAから見えた富士山。
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8月お盆休みは、日光鬼怒川へ。昨年の水上に続きキャニオニングをしました。これは霧降の滝。
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8月末に今年二回めの蓼科へ。これは八ヶ岳。女の神展望台からの眺め。
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6月は札幌も行ったのでした。地震お見舞い申し上げます。
 1年ぶりの更新です。少し涼しくなるこの季節になると書く気持ちになる?のでしょうか?

1年いろいろあったけれど、目ぼしい写真をダイジェストで。
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これは三春の滝桜。4月ですね。今回満開時タイミングが土日だったので、向かってみました。曇り気味だったのが少し惜しい。
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6月は長野出張のついでに、北陸新幹線で金沢、富山へ。これは金沢城。
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富山の北前船の商家。



東大島で咲いていた。秋ですねー。
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幕張に行って、大型マンション建設予定地を見て、その後AEON MALLに行った。
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店の名前がROUなので撮影。単なる頭文字の略語だったよん。
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幕張はまだまだ開発余地というか土地はまだありますね。未来志向の雰囲気があり、たまに行くのもよいです。
# by pach8 | 2017-09-17 14:27
割と簡単に沢の下まで行けるんですね。雲がかかっていたが、ここまで見えたのでよしとしよう。
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アジサイが咲いていた。
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# by pach8 | 2017-09-17 14:13
もう一ヶ月前の話ですが、お盆休みに水上温泉と法師温泉にそれぞれ一泊してきました。
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水上では、谷川岳の一の倉沢までハイキングして、翌日はキャニオニングに挑戦してみた。


でも、ここは絶対に(「そうね」ではなく)「そうよ」でなければ、この少女の気持ちが出ません。妹も不安なのです。だからこそ、「兄さんの言うことに間違いはない。私信じているわ」という心で「ヤー」と言っている。それを「そうね」と訳したんでは、半信半疑みたいで、不安であるが故に兄を信じようとする少女のいたいけなさ、けなげさが感じられないのです。「そうよ」と「そうね」でこれだけの違いが生まれる。これが言葉のおそろしさです。
詩人たるもの、この言葉のおそろしさを最もよく知る人であらねばなりません。それには生涯にわたる勉強と修練が必要な訳で、だから文章を書くのは持続、エンデュアランス以外のものではありえないのです。
(中略)
ちょっと思いつかない表現で、こういう表現ができるには、「介錯」という言葉自体を知っていなくてはならないことはもちろんですが、それがどういう場合に適用されうるかということがわかっていなければならない。つまり言葉のインプリケイション(含意)が完全につかめていなくてはなりません。
(中略)
そういう言葉の運用には才能の問題もからんで来ますけれど、やはり長年の修練というものが必要です。(中略)要は言葉を運用する世界にいったんとり憑かれてしまうと、一生そこから抜けられないということにあると思います。ですからそれは努力というものではなく、むしろ業を背負ってゆくということで、楽しいばかりではなくつらい苦しいことでもあります。(中略)問題は言葉によって自分を生かせるかどうかで、言葉に生きるしかないものは、一生そうやっていくだけの話です。(「日本詩歌思出草」より「書くこと生きること」)

すべて丁度いい言葉のみつからない事は悪だ。その沈黙は女にあっては屈服であり、おとこにとってはへつらいである。
他には理解されぬ内心を、自分の正しい感覚を、云えなければ悪だ。
語りつくしておくことこそ詩歌の本当の戦いなのである。(短章集4 より)

一升枡で米や麦を量るのに、一升あればよいのではない
うんと山盛りにしておいて水平にスキッとはらう
それは詩の方法でもある
事実に正しくとだけ願っていては米は量れない
山盛りをみて人はオーバーだとか虚妄だとかそしる
その盛り過ぎなしに詩がまちがいなく本心をとどける事は困難である(短章集3 より)


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清澄白河店にやっと入店
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